いま「食べること」を問う

いま「食べること」を問う―本能と文化の視点から (人間選書)

いま「食べること」を問う―本能と文化の視点から (人間選書)

先日の帰省時に梅田堂島のジュンク堂書店にて購入。

書店には、思わぬ本と出合えることがあるのでそれが楽しみでもある。

本書は、栄養学者の伏木亨と人類学者の山極孝一が、

食の世界で活動するゲストと鼎談したもの。

「食べる」ことの意味は、栄養学的に言えば、

生命維持のために栄養素をとることである。しかし、

現代ではそれ以上の意味が問われている。

人間は「脂・砂糖・だし(アミノ酸)」には無条件においしく感じるそうだ。

マヨネーズが好きな人が多いのも、サラダ油のおいしさに

ひかれているのかもしれない。

嗜好がわかりやすいものにかたより過ぎているのでは、という警鐘。

ラーメン、焼肉、中華料理、とんかつ。う〜ん、油ばっかりだ・・・

山極は、食の「社会性」に着目しなければならないという。

食物を分配する生物は、人間だけだそうだ。

そこから、育児の分担が始まり、食に関わる「社会性」が

生まれてきた、とする。

現代の食の危機は、食で密接につながっていた人間関係が

断ち切られていることにある。

どこで採れて、誰が作って、どこで食べるか、という食のつながりが

断たれてしまい、それを想像することが困難になってきている。

そこで、「食育」で何を教えるのかについては、味を伝えることもあるが、

食を文化としてとらえなおし、食のつながりを教えるべきで、

伝統的な食事に主体的に参加する経験を積ませるべきと主張する。

実は、この本で述べられていることは大体王国でやろうとし、実際に

やっていることと重なる部分が多かったのだけど、各界で活動している

人々も同じような考えを持っていることを知ったことは大きかった。

味覚が2〜3歳で決まってしまうというのは恐ろしいけど、

ちょうど今子供が1歳半なので、まだ間に合う。

特別なものを食べさせることが必要なのではなく、親が食べているものに

少し手を加えてやるだけでよい、というのは安心だ。

さらに、3歳〜8歳までは、親と一緒に食事をする回数が多いほうがいいという。

生理としての食は簡単に壊れてしまう。

忙しくなって、孤食になって、適当に物をつまむだけにすると

際限なく食べ始めたり拒食になったり、精神にも影響するようだ。

親と一緒に食事をする回数が多ければ、その後の関係作りにも役立つそうだ。

どのような調査をしたのかわからないけど、私の今の状況では

親子で食事できる機会は多いから、なるべく大切にするようにしよう。

「食べること」を問うことは、王国活動にとっても大きな意味を持つと思う。

ミツヲさんがやってきて畑を始め、今ではイベント、帰農塾ともに王国産の野菜を

提供できるようになってきている。

帰農塾の感想では、「食事がおいしかった」という感想をたくさんもらっている。

何気ないシンプルな味だけど、作っている場所との密接な関わり、

食べている場所がおいしさを増してくれているのだろう。

この地方伝統の食事が提供できているわけではないけど、

地元の人に学びながら王国ならでは「食」を提供していきたい。

以前のブログを読む

「科学的」って何だ!

「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書)

「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書)

惑星物理学者の松井孝典と、南伸坊の対談。
筋道を立てて考えることの確かさを知った。

松井は、「人間圏」という概念を使い考える。
人間圏とは、地球をシステムとして考えた場合、
現生人類の生き方による地球上での存在を
表現したものである。
これを、地球システムの一つの構成要素として、
生物圏とは分けて考える。

グローバリズムが正しいか、正しくないか、という問題に
対しては、「宇宙から見ると」どちらでもない、と松井はいう。
「人間圏」は、存在そのものの表現なので、
そこに正しさはない、というのだ。
アメリカの人を信用しないシステムと、
日本のあいまいなやり方、それぞれが存在しているだけだ、という。
それを、アメリカがスタンダードだ、正しいのだ、と
錦の御旗を掲げるのはどうなんだろう。

では、「宇宙から見る」とはどういことか。
1 俯瞰的に見る
2 相対的に見る
3 普遍的に見る
この見方をとれば、問題の本質が
どこにあるか見えてくるという。

なかなか簡単にまねができる考え方ではないけど、
意識していれば自分が少し楽になるかもしれない。
ひょっとすると、前提を考えすぎてまたまた
しんどくなるのかもしれないが。

「科学的」という言葉に弱い私たち日本人については、
「疑う、疑問を持つ」ことが必要だという。
相手の主張の前提、根拠は何か。
その根拠は正しいのか。
そう考えていかないと、外界の事象、大衆の流れに
簡単に呑み込まれてしまうだろう。

松井の話に対する南の反応もとても面白い。
人の話をこんな風に聞けるのは楽しいだろうな、と思う。

以前のブログを読む

日本人はどう走ってきたのか

日本人はどう走ってきたのか 団塊世代の「夢」の検証

日本人はどう走ってきたのか 団塊世代の「夢」の検証

共同通信の石井さんより、王国に本を頂いた。

団塊の世代に着目して、当時のキーワードと、

現代との連関を記述した著作だ。

新聞の連載記事をまとめたものなので、

項目ごとに独立していて読みやすい。

本書の中に「帰農」という項目があり、

ここに里山帰農塾の活動に触れられている。

三派全学連の委員長だった故藤本敏夫が、

いかにして有機農業の推進運動に入っていったかが

簡潔に記されている。

肩たたきを受けた団塊の世代が帰農塾で学ぶ姿と、

そのジュニア世代が素直に農作業に

取り組む姿が記されていて、

その対比は、私が普段体験していることが

よく表現されていた。

今度の帰農塾同窓会では、

どんな語らいがなされるのだろうか。

楽しみだ。

石井さん、本をありがとうございました。

また遊びに来てくださいね。

以前のブログを読む

上機嫌の作法

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)

毎日暮らしていると、自分がぶっきらぼうに人に対応していることに気づく。

相手はもちろん気分が悪いだろうし、自分だって気分がいい訳ではない。

そして、不機嫌でいるのが日常のようになってしまう。

 「上機嫌でいるのを技化(わざか)する」というのが

本書でつかんだポイントだ。

気分に関わらず、いつも上機嫌でいられる技術を身につける、ということ。

 備忘録的に引用しておこう。

・<身体的基本原則>

1 目を見る

2 微笑む

3 頷く

4 相槌を打つ

・上機嫌力の根本にあるのは何か。ふっきることだ。

ふっきるための三つの推進力

1 断言力・・・現実をはっきり認め、事柄に対して終結宣言をし、一つの事実として確定、肯定し次にゆく。

2 想像力・・・想像力が豊かであればものの捉え方が変わり、能動的に機嫌を良くすることが可能に。

3 自分を笑い飛ばす力 

<気分をコントロールするからだの作り方>

・温まったからだを基盤としてもつと、外からの働きかけに対し、柔軟に対応できる。

・上機嫌なからだは、柔らかく浮き立っている。

・肩甲骨を少し張るだけで、肩こりが少なくなり息がしやすくなる。

・「3・2・15の呼吸法」→鼻から三秒吸って、二秒お腹の中にぐっとため、15秒かけて口から細くゆっくりと吐く。

・<上体ぶら下げ> 野口三千三 「原初生命体としての人間」より

「両足をわずかに左右に開いてすっきりまっすぐ立つ。次いで上体を前下にぶら下げる。両膝は伸ばしたまま。

ぶら下げはだらしない感じと違い、自然の重さにまかせきった、のびのびとしてやすらかな感じ。

ぶら下げたままで静かに横隔膜呼吸をしていると、だんだん深くぶら下がってゆく」

・スクワットを1日50回以上行う→下半身を作る。

・力を入れない立ち方→足の親指の付け根の二点、土踏まずの辺りに全ての力が落ちていく感じをイメージする。

天井から吊り下げられているような感じ。ひざは少しゆるめる。

<上機嫌の技化のメソッド>

・自分が不機嫌になるのはどんなときか探る

・どんなときに自分が上機嫌になるのか見極める。

・疲れたときにこそテンションを上げることで、上機嫌を技化できる。

・拍手を入れて、区切りをつける。

・上機嫌を維持するポイントは、とにかく出し続けること。

・一般論に落ち込むと、悲観論に傾いていく。具体論に行くと前が見えてくる。

・疲れるからやらない、かったるいからやらないでは、循環が起こらない。疲労が蓄積するのみ。

<上機嫌の作法>

・ハード且つ上機嫌。挑戦する内容は厳しく、なおかつ上機嫌で、それに取り組むことが社会を活性化する。

・上機嫌力は、他の人によって触発されて引き出される力。

・人を前にしたときには、上機嫌になる作法を身につける。

 以上である。

全部完璧にはできないだろうけど、おもしろそうなのでやってみる。

上機嫌に生きてゆきたい。

(おおっ、早朝の貴重な時間を執筆に使ってしまった!今から草刈。)

以前のブログを読む

ガルシアへの手紙

ガルシアへの手紙

ガルシアへの手紙

 図書館で借りた一冊。

日露戦争あたりから、第一次世界大戦くらいの時代にかけて読まれた本だ。

簡単に言うと、米西戦争http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E8%A5%BF%E6%88%A6%E4%BA%89

において、キューバにいた反スペインのリーダーであったガルシア将軍に、ローワンという将校が

マッキンレー大統領の手紙を届けた、という話である。

 ただ届けただけの話ではなく、ガルシア将軍はキューバのどこにいるかわからず、電報も電話も届かないところにいるのに、

ローワンは、「ガルシアはどこにいるのですか」と大統領に聞かずに、

黙って手紙を受け取り任務を遂行した、というのだ。

で、これはいわゆる自己啓発本なので、教訓がいろいろ詰まっているのだけど、

ポイントは、目の前の物事に対して、『自分がやる』という気持ちを持つということだ。

 自分でやる。他人の力をあてにしない。他人のせいにしない。

言い訳なんか考えない。

 仕事をする上で、生きていくうえでこんなことは当たり前のことだけど、

省みれば、結構他人をあてにし、他人のせいにし、言い訳を考えている。

そんなことを考えながら、人間関係がどうのこうの言ったって状況は何一つ変わらない。

 自分を振り返るきっかけを与えてくれる本だった。

以前のブログを読む

西郷南洲遺訓,バガヴァッド・ギーター

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)

人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし
。」 

西郷隆盛の残した言葉だ。
明日の準備でトイレ掃除をしているとき、
ふとこの言葉を思い出した。

前からいろんな人に言われるのだが、
私は結構人の目を気にしてしまう。
自分勝手な行動もしているが、
「人がどう思うか」は、気になっている。

でも、これをずっと続けていると、
自分を過剰に抑圧することにつながりかねない。
「お前、どこ向いて生きとんのじゃ?」といわれるのは、
結局ここに起因していそうな気がする。

他がどうあれ、自分の思うことを真剣にやるべきだ。
そして、自己中心的にならないように、
「天」を描いて自分の行動を観察してみよう。

お前のやりたいことはなんだ?
お前のやるべきことはなんだ?
考えていても、しょうがない。

そういえば、バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)にも、

あなたの職務は行為そのものにある。
決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。
また無為に執着してはならぬ
。」

という言葉がある。
考え込んで、何もやれなくなってしまうのが常だから、
考え込んでしまうときは、ひたすら行動を起こそう。

考え込んでいる暇はない。

以前のブログを読む

昭和33年

昭和33年 (ちくま新書)

昭和33年 (ちくま新書)

「昭和30年代」というと、
憧憬を持って眺められることの多い時代である。
私などは、まったく想像がつかないのだが、
映画や新聞、TVが描く世界からすれば
牧歌的であり、希望に満ちた時代であったように思っていた。

「それだけじゃないよ。
大変なこともたくさんあったのだ。」
ということをデータに基づいて、
懇切丁寧に解説してくれている。

筆者は団塊の世代
自分が育ってきた経験と、
統計を元に説得的な議論を展開する。

3畳一間に親子8人で寝ており、
乳児が圧死した事件があった。
3畳に8人?
今なら、一人で寝るのも狭い、と思うくらいの広さだ。
こういうところで暮らしている人たちがたくさんいたのだ。

高度経済成長が始まっているにもかかわらず、
経済評論家は悲観的な意見が多い。
テレビの台頭は、現代のネット革命に通じる議論がすでに
なされていた。

そういう事情の中、筆者は結局何が言いたいのかというと、
「憧憬という抽象的な感情で
判断するのではなく、具体的な事実に基づいて
判断せよ。
今の日本は大丈夫だ。明日へ向かう活力がある。」
ということだろう。

私自身、おこがましいが、まだまだこれからが
スタートだという思いでいるので、
この結論に異論はない。

当然そうだと思われるようなことも、
鵜呑みにしないで一歩はなれてみれば、
物事を冷静に見られるのかもしれない。

引用しておきたい文章がある。
「就職難も影響しているのだが、農業を志す若者が目立つ。
人口減少に悩んできた僻地の集落の魅力を若者が再発見し、
過疎地の活性化に役立っているという話も聞く。
自然と共生しながら築く生活の営みに、惹かれる若者がいる。」

こんなどんぴしゃのことを書くなんて、
筆者は、ひょっとして増刊現代農業http://www.ruralnet.or.jp/zoukan/index.html
を読んでいるのではないだろうか?

以前のブログを読む

環境問題はなぜウソがまかり通るのか

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)

を購入した。
今度新たに参加するNPOは、
環境問題に取り組むNPOだ。

勉強不足の私では、ちゃんと役目を果たせないだろうと思い、
違った視点から見ている本はないか探していた。
どうやら売れ筋の本らしい。

衝撃的な内容の本である。
まじめな人から見たら、トンデモ本の類かと思われるかもしれない。
でも、内容は論理的である。

ペットボトルのリサイクルは、全体の数%しか行われていない。
しかも、リサイクルするために、新しいペットボトルを作る場合の
2倍の石油を使うのだ。
リサイクルすることがいいことだと考えているけれど、
統計に基づいて調査すると、恐ろしいことがわかる。

なんと!
分別回収で集めたペットボトルを焼却処分しても
リサイクルしたことになっているのだ。
これはウソではなく、リサイクル協会がそう決めているのだ。
あぁぁ・・・

本来、環境問題とは本当に地球や、生活のことを
考えて進めていくはずのものである。
しかし、現在は利益団体により、国民に余分な負担をかけており、
良かれと思ってやっている行動が、
実は一部の人たちの利益にしかなっていないという状況がある。

環境問題の解決のために一番近い道は、
極論で言うと、地産地消を進めていくことである。
地産地消で食物を生産すれば、化石燃料の消費も少なくなる。

地産地消では食べていけない!とほとんどの人が言うが、
それをしなくても、今のまま行けば食べていけなくなる。
この場合は、「お金がない」という状態ではなく、
「食べるものがない」という具体的な状態になる。
壊滅的な状況は、もうそこまで来ているような気がする。

結局、人の心が変わらねば何も変わらないということ
なのだろうか。
人の心は変わるのか。
私は、車を使わずに生活できるのか。

ハチドリのひとしずく いま、私にできること

ハチドリのひとしずく いま、私にできること

この本は、問題解決の助けになるだろうか。
一人一人ができることをすることと、
小国がちまちま節約しても、
大国の大規模産業で一瞬でその節約分を
上回る汚染がでるとしても、
やはりできることからやるしかないのか・・・

暗澹としてきたが、日々の暮らしの中で
折り合いをつけていくしかあるまい。

以前のブログを読む

段取り力

段取り力―「うまくいく人」はここがちがう (ちくま文庫)

段取り力―「うまくいく人」はここがちがう (ちくま文庫)

毎日やることがたくさんある中にも、
ふと手にとった本を買ってしまうことがある。
本が、私を呼んでいるのだ。

久々にこの著者の本を手に取ったのだが、
かなり勉強になる。

ざっと言ってしまえば、物事を進めるときに、
ちゃんと段取りしましょう、というだけのこと。
何かがうまくいかないときに、
「才能が無かった」「環境が悪かった」と
言ってしまえばみもふたもないが、
「段取りが悪かったからうまく行かなかったんだ」
と思えば努力したくなるだろう。

そういう観点で自分の生活を眺めてみれば、
なんとまあ段取りの悪いこと。
のんびりしているのはせかせかするより
いいかもしれないけど、反面それはただ
流れに任せているだけだ。

ああ、危ない。
今やっていることは流れに任せていては
きっとミスをする。
そのためにも、段取りしよう。

そこで、一昨日くらいから私は
「段取りを意識する」をテーマにしている。
すると、なんだか少し自分の動きが変わったような気がする。
意識して身体を動かしている気がする。

やり始めてすぐ飽きるのが悪い癖だけど、
飽きないように段取りしよう。

以前のブログを読む

「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは

「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは

「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは

あるサイトで紹介されていたので、買ってみた。

印象に残った話を1つ。

江戸時代の長屋では、
一軒が蕎麦屋さんを始めると、
隣は粉をひいて、こねて、
もう一軒はだし汁を作って、
さらにもう一軒は薬味専門店で、
という感じで営業していたそうな。

ご飯は、交代で作って、
一か所に集まって食べていたという。
共食(きょうしょく、共食いではないよ)という
名前がつけられていた。

みんなで助け合って、お店も生活もやっていたんだな。
そして、こんな言葉もあった。

「江戸の長屋は狭いけれど、江戸の空は限りなく広い」

これを、
「鴨川の街は狭いけれど、鴨川の空は限りなく広い」
として、地産地消の流れを進めていければな、
と思う。

以前のブログを読む