暮らしをまもるもの〜花森安治の言葉から

朝は、山賊会の打ち合わせ。合同作業の日程を決め、それまでにやるべきことを確認した。稲刈りが終わってからの、久々の合同作業になるな。

帰宅後は、長女と妻と3人でサツマイモ掘り。今年は途中で草取りを断念してしまったため、生育状況は惨憺たるものだった。そもそも、ツルが雑草に埋もれてしまっていたのだもの。掘り上げながら、時たま出てくるさつまいもに、「農家」民泊を名乗っていては申し訳ないなと思う。

「もし食糧危機だったら、もっと一生懸命になるだろうね」と妻に言われ、そうだろうな、と思うのだ。

暮しの手帖の初代編集者だった花森安治の言葉を集めた本だ。

ぼくらの暮しを、まもってくれるものは、だれもいないのです。

ぼくらの暮しは、けっきょく、ぼくらがまもるより外ないのです。

考えたら、あたりまえのことでした。

そのあたりまえのことに、気がつくのが、ぼくら、すこしおそかったのかもしれませんが、それでも、気がついてよかったのです。

という文章にであった。もちろん、現代国家である以上、社会保障などは国が整備するものではあるが、根本のところは現在でも何も変わっていないと思う。自分の覚悟として、「自分の暮しをじぶんでまもる」としておくと、心構えが変わるだろう。そして、それが「美しく」あることを目標としたい。今はまだ、草が無造作に生えていたり、終わってしまった野菜たちが放置されていて「美しさ」には程遠いけど、理想を持って暮しをすることだ。

夜は、友人が作ったできたてのイノシシのベーコンをいただいた。家族みんなで、美味しくいただいた。小さなことかもしれないけど、これも、「暮しをまもる」ひとつだと思う。

 

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