朝方までの猛烈な風雨が午前中いっぱい続いたら大変な出陣式になっていただろうが、
式が始まる10時ころにはすっかり空も晴れ渡り、すがすがしい天気だった。
いつも思うのだが、出陣式には独特の高揚感がある。
車を運転しながら考えていたことは、「政治家とは大変な仕事だ」ということだ。
どんな仕事でも大変というのはわかっていてこう書いている。
なんにしろ、みんなが納得する政策というものはないわけで、甲乙両面つけがたく、陰陽すべてがあるように、
物事は一つの側面から見るだけでは解決することができない。
そういう中で一つの方向に決断を下し、物事を動かすというのは本来的に無理なのではないか。
政治は結果責任とよく言われるが、結果責任とはこれまた重い責任である。
どちらにしても、責任を取る仕事が政治なのだろう。
そういう仕事をする政治家を目指す人々には、いろいろな思惑があってのことだろうが、素直に「頑張ってください」と思うしかない。
他人事ではなく、私も来週何日か応援に出向かなければならないのだけど。
廃校イベント実施。
第1回目の「大山交流サロン」が開かれた。(サロンには、交流という意味は含まれているような気もするが…)
これは、2月に行った「移住者交流会」の定例化を目指すものだ。
「移住者」というと何ともよそ者意識丸出しなので、同じ地域の「地区民」として交流を深めたいという思いがある。
年末に行った「ひみつの大山小復活祭」を一緒に行った早稲田大学の学生6名と、先生1名も加わって、盛大に開かれた。有志の会のメンバー以外の地区参加者は7名と、前回より若干少なかったが、ここからすべてが始まると思いなおしてスタート。
2時間の時間では足りないほどで、残念ながら今回も顔合わせと簡単な年間計画の発表に終わってしまい、議論を深める会には至らなかった。
「地域はぐずぐず変わる」と、結城登美雄さんは言っているが、われわれはぐずぐずとでも進んでいるのだろうか?
個人的な事情で、少し疲れてきているが、ここで何とか踏ん張らねばならないだろう。
田舎で働き隊!成果発表会
衆議院の第2議員会館で行われた。
平成20年度の補正予算から始まったこのプログラムは、21年度は6カ月の研修期間で行われた。
会場には、30人近くの研修生と、議員、議員秘書、それに一般の参加者でいっぱいになった。
農村で働こう!という流れは今までも細々と続けられていたのだが、
それがこの何年かで大きく展開されるようになってきている。
民間の自発的な活動が政策に取り上げられた好例である。
今の私の環境で大切なことは、民間で取り組んでいる事例を効果的に政策に取り込んでいくことだと思う。
そして、気持ちは常に現場にあろうとすることだと思う。
田舎で働きたい!成果発表会http://www.furusatokaiki.net/topics/2010/03/post-40.html
以前のブログを読む農山村の再生方法
先日の話ではあるが、3月13日に、シンポジウム「ゆるがぬ暮らしを地域から」http://70.ruralnet.or.jp/?p=183に参加してきた。農文協の甲斐さんからのお誘いがあり、また私淑する結城登美雄さんの講演があったからだ。結城さんの話を聞くと、いつも感極まってしまう。人間の情に訴えながらも、朴訥でかつ論理的に迫ってくる講演は胸にしっかりと刻み込まれる。
今回は、もうひと方、明治大学の小田切徳美先生の話もあった。大学の世界から政治に働きかけ、農山村再生のための政策に提言をしている方だ。

- 作者: 小田切徳美
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/10/07
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
という著書もある。(買っただけでまだ読めていないのだが)
備忘的に、小田切先生のレジュメを転記する。
●地域再生の体系化
①「参加の場」をつくる地域づくり(「場」づくり)
⇒新しいコミュニティの構築→「手づくり自治区」の構築
②「カネとその循環」をつくる地域づくり(「条件」づくり)
⇒新しい経済を起こす→「4つの経済」の創造
③「暮らしのものさし」をつくる地域づくり(「主体」づくり)
⇒当事者意識を掘り起こす→「地元学」運動
●「手づくり自治区」
・「手づくり自治区」とは
住民が当事者意識を持って、地域の仲間とともに手づくりで自らの未来を切り開く活動
・手づくり自治区の特徴
①総合性(文字通り「小さな自治」「小さな役場」)
②二面性=自治組織+経済組織(共同売店、ガソリンスタンド、居酒屋、特産品開発など)
③補完性=集落←<補完>→手づくり自治区
集落・町内会=「守り」の自治(地域資源保全)←→手づくり自治区=「攻め」の自治
→集落と手づくり自治区の重層的組織の構築が課題(集落・町内会の代替組織ではない)
④革新性(集落の「1戸1票制」の限界を意識し、「新たな仕組み」の構築を企図)
・その機能(旧高宮町川根地域振興会からのモデル化)
①安全に暮らす(地域防災)
②楽しく暮らす(イベント)
③安心して暮らす(地域福祉)/快適に暮らす(景観形成、農地保全)
④豊かに暮らす(コミュニティ・ビジネス機能:付加価値と雇用)
⑤誇りを持って暮らす(地域の自立)
●「4つの経済」の創造
・4つの経済とは
①6次産業型経済
・6次産業:国内食用農水産物(12兆円)と最終食料消費額(80兆円)のギャップにある付加価値と、雇用を農山村で獲得
・その本格化としての「農村レストラン」(直売所から直売所+農村レストランへ)
②交流産業型経済
・所得形成機会であると同時に双方の人間的成長機会(社会教育的側面)
→高い「リピーター率」→産業としての成立可能性も高い
③地域資源保全型経済(共感形成型産業)
・「地域資源活用」から「地域資源保全」(資源保全+資源磨き+資源活用)へ
→こうした産業に都市住民の「共感」が集中(地域資源保全→物語→共感)
④小さな経済
・意外と小さな住民の追加所得要望
→年間60万〜120万円の追加所得形成機会(小さな経済)の構築
・小さな産業の蓄積の上に「中程度の産業」(若者定住)が成立する(コーディネーター)
このレジュメに、重要なことは尽くされている。
しかも、さらに重要なことは、上記のことは全国ですでに実践されている活動をポイントを押さえて概念化したものであるということだ。
今実は、国会では農業・農村・食料基本法を新たに定めようとしていて、6次産業化を推進する法案をどのように作ろうかと議論しているのだが、すでに上記では、交流産業型経済、地域資源保全型経済、小さな経済と新しい概念が提出されている。
私が前職で行っていた活動もこれに近いのだが、問題は本当に「小さな経済」であることだ(苦笑)。
これの解決が今後の大きな課題となる。
「手づくり自治区」という概念は、私が今廃校となった旧大山小でやろうとしていることがほぼ言い表されているように思う。
従来の集落を補完するものとして、地域コミュニティ再生の核、拠点としての廃校という考えなのである。
週末には、大山交流サロンと題して、旧大山小でイベントが行われる。
鴨川でも、小さいが新しい動きが始まっている。
全国で起こり始めている動きと同様に。
半農生活者の群に入るまで
「かうした思想(土に帰れという思想:引用者注)は今日真実を求むる人々の生活の上に深く喰ひ込むで来て、実際の生活として、若くは生活運動として、力強い発展を示して居る。
今日は無産政党の盛んの時だけれど、私は余りこれにも興味を持たなくなって、何だか隠遁生活じみているやうだが、決して隠遁するつもりではないのである。寧ろ、これからほんとの私の積極的の生活になって行くと信じて居る、バヴェルの塔を望んで狂奔していたのでは、百年千年待たうとも、落ち着く先は見当たらぬ。」
表題は、石川三四郎の文章である。引用文は、文章の最後に当たる。
1927年(昭和2年)3月に書かれた文章と思われる。
今はやりの半農半Xは、すでに昭和初めに石川三四郎が行っていた!!!
誰かこれを宣伝してくれ!
石川三四郎は、半農半文筆活動だったのだけど。
石川三四郎著作集一冊と、青空文庫所収の文章だけでは足りないか?
(ないものねだりよりあるもの探し→今持っている素材から展開せよ!)
歴史は繰り返すというが、何といっても昭和初期の研究が今必要とされているのではないか。
安易に当時の世界恐慌と、リーマンショック以降の経済情勢を比較してもしょうがないが、
そこには何かヒントがあるはずだ。
環境や道具は便利になったけど、人間はきっと根本のところでは進歩していないような気がする。
私は、今は農から離れたけれど、きっとまた戻る。
その時は、「積極的な生活」をしていくのだ。
「バヴェルの塔を望んで狂奔していたのでは…」というくだりには実感する。
私たちは、いつまで何を求めているのだろう?
上京中
ある会社の役員の方を国会見学にご案内。
傍聴もできて、堪能していただけたよう。
よかった。
今日は高校の無償化、子ども手当て法案が衆議院で可決された日。
日本社会が、少し変わるきっかけになるだろう。
初めてゆっくり本会議を傍聴したのだが、聞きしに勝る野次の激しさ。
学級崩壊といわれても、仕方がない。
これがわが国の唯一の立法機関なのだ。
テレビでは、この野次がほとんど聞こえないのだね。
旧友再会
数えてみれば、もう10数年ぶりの再会だった。
それなのに、違和感が、ない。
昨日別れたみたいな雰囲気であった。
あの時間を同じ場所で過ごしたということは、
時が過ぎたからといって変わるものではないのだろう。
どこかで記憶に改変は加えられたとしても。
10年が過ぎる中で、それぞれの取り組みが聞けて、
本当に楽しかった。
モンゴル火鍋というのも、なかなか新しくておいしかった。
辛い汁は本当に辛くて、辛い物好きな私でさえ食べることができなかった。
馬乳酒は、モンゴルで飲むものそのままではない可能性が高いのだけど、
乳酸発酵の醸し出す香りがたまらなくて、意外に甘かった。
少量の割に、値段が高くて驚いたが。
しばし仕事を忘れたひと時だった。
いやぁ、忘れてはいけないのだけど。
一日
車から手を振り、
自転車に乗って手を振り、
いろんな人に挨拶して、
にっこり笑って、
「ご丁寧に」
と人に言われ、
風の強いなか歩きまわる。
地道な作業だが、
誰もがやるものだ。
それを仕事でやると、
なんだか変な感じ。
何も生み出していないのに、
わらわらと組織力で動くのだ。
それも政治。
政治は、数なのだ。
歴史の語られ方
鴨川に帰る前、八重洲地下街で一冊の本を買った。

増補〈歴史〉はいかに語られるか 1930年代「国民の物語」批判 (ちくま学芸文庫)
- 作者: 成田龍一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/03/12
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
歴史をどのように語るのかということに関心がある。
今さまざまなところで語られている「歴史」というものが、
結局は自説を補強するために資料として使われていることが
多いような気がしているからだ。
つまり、歴史とは何なのか、思い思いに解釈できるものなのか?ということ。
この考えを突き詰めると、歴史とは解釈を許さない客観的なものという意見になりかねないが、
別にそこまで突き詰める気はない。ただ、安易に語りたくないな、というところだ。
本書では、島崎藤村「夜明け前」、火野葦兵、林芙美子などの作品を中心に、歴史がいかに語られていくかに着目する。私が本書を取った一番の原因は、小川正子「小島の春」が検討対象になっていたからだ。
昭和初期に爆発的ベストセラーになった本書は、現在ではほとんど忘れられているも、ハンセン病について関心を持った者には名前くらいは触れたことのある本である。
私は当時、西宮のブックオフで偶然見つけて購入した。
小島の春は、若い女医が、無らい県運動の推進のために中国地方の産地、島部をあちこち訪ね歩き、後援会と診察をしながら啓もう活動を行っている様子を述べたものである。
(ああ、もっと書きたいが今はこれまで・・・)
以前のブログを読む農文協シンポ。
もうすぐバスに乗り、東京へ向かう。
わざわざ行くのだ、学びとろう。
地域活性化活動をどう盛り上げ、持続させてゆくのか。
これが今大事なところだ。
仕事との矛盾をどう克服するかも課題だな。