今日の1日。

木曜日は王国の日だ。岩田さんも来ているので、今日は3人で田んぼの草刈り。3人掛ける5.5時間で、16.5時間の仕事量。予定していた面積を無事に終了できた。それにしても、昼休憩を挟んだとはいえ、5.5時間の草刈りは結構ハードだった。今、腰に湿布を貼っている。

夜は中2の英語と社会。英語はちょうど不定詞を勉強しているのだが、どうしても詰まるのが不定詞の名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法の識別。基本文と例文を多用して説明したが、さて、どれだけわかってもらえたか。動名詞と不定詞が出てくると、途端に中学英語も難しくなってくる。

あきらめず勉強を続けてもらうためにはどう働きかければよいのか、ずっと考えているのだけれど、なかなか答えは出ない。

友人から忘年会の提案が来る。大学時代を共に過ごした仲間なので、会うのが楽しみ。晩御飯は何にしようか。

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時間を区切ってみること

午後からは里山オフィスへ。2時間ほど塾での授業のための予習を行う。一週間に一度は使わないともったいないと思っているし、オフィスには何もないので、集中できるのだ。

目の前に解かないといけない問題集が置いてあっても、すぐに動き出せない時がある。そんな時、意識しているのが18分集中法。

実は5年前にこの本について書いているのだけど。https://wp.me/pacZNU-mx

取り組むのに時間がかかりそうだったり、乗り気になれないような時にはこのやり方を使っている。

18分集中法というのは、非常にシンプルな方法だ。タイマーを18分かけて、その間は仕事にとにかく集中し、タイマーがなったら1〜2分ほど休んだり、気分転換をする。それからまた18分タイマーをかけて再開するということを繰り返すだけだ。

資料の読込みや、答案構成などには非常に有益だ。今日は18分を5回行なった。家から離れてオフィスにいたので、余計集中できたと思う。

ちなみにこの方法、塾の生徒などに勧めてみるのだけど、なかなか実践できないみたいだ。18分間が中途半端だと思ったり、面倒くさいと思うのかもしれない。私はいろんなやり方を試してみるのが好きなのだけど。

時間を区切ると、メリハリがついていいですよ。

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暮らしをまもるもの〜花森安治の言葉から

朝は、山賊会の打ち合わせ。合同作業の日程を決め、それまでにやるべきことを確認した。稲刈りが終わってからの、久々の合同作業になるな。

帰宅後は、長女と妻と3人でサツマイモ掘り。今年は途中で草取りを断念してしまったため、生育状況は惨憺たるものだった。そもそも、ツルが雑草に埋もれてしまっていたのだもの。掘り上げながら、時たま出てくるさつまいもに、「農家」民泊を名乗っていては申し訳ないなと思う。

「もし食糧危機だったら、もっと一生懸命になるだろうね」と妻に言われ、そうだろうな、と思うのだ。

暮しの手帖の初代編集者だった花森安治の言葉を集めた本だ。

ぼくらの暮しを、まもってくれるものは、だれもいないのです。

ぼくらの暮しは、けっきょく、ぼくらがまもるより外ないのです。

考えたら、あたりまえのことでした。

そのあたりまえのことに、気がつくのが、ぼくら、すこしおそかったのかもしれませんが、それでも、気がついてよかったのです。

という文章にであった。もちろん、現代国家である以上、社会保障などは国が整備するものではあるが、根本のところは現在でも何も変わっていないと思う。自分の覚悟として、「自分の暮しをじぶんでまもる」としておくと、心構えが変わるだろう。そして、それが「美しく」あることを目標としたい。今はまだ、草が無造作に生えていたり、終わってしまった野菜たちが放置されていて「美しさ」には程遠いけど、理想を持って暮しをすることだ。

夜は、友人が作ったできたてのイノシシのベーコンをいただいた。家族みんなで、美味しくいただいた。小さなことかもしれないけど、これも、「暮しをまもる」ひとつだと思う。

 

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自由を切望し、行動した女性の物語

午前中、少し時間があったのでチーズを放してやった。餌をやった後だったのだが、食べる食べる。しかも面白いことに、ある種類の草を食べてしばらくすると移動して別の草を食べ、さらに別の草を食べにいっているのが見られた。当たり前だが、草にも味があるに違いない。飽きないように、いろいろ選んでいるのだろうか。「人間の関心を引くために動物は生きているわけではない」と、馬牧場を経営している人に言われたことを、ふと思い出す。私にできるのは、チーズにとってできるだけいい環境を用意してやることだと思う。

少6の娘が学校から借りてきていた「ある奴隷少女に起こった出来事」原題”incidents in the life of a slave girl”を借りて、読了した。私が読んだのは単行本だが、文庫で出ているようだ。

本書は1861年にペンネームで発行され、事実かどうかわからないままに長い間埋もれていた作品だったが、今から30年ほど前に、実際に奴隷だった女性が執筆した自伝的小説であることが判明し、アメリカで改めてベストセラーになったそうだ。

6歳になるまで自分が奴隷であることを知らずに育った少女が、”所有者”である白人から受けた数々の被害と、そこから逃亡して自由を掴み取るまでの物語だ。逃亡の際は、7年間も屋根裏部屋に隠れて、捜索を続ける”所有者”から逃げ延び、その間子供に会うことはほとんどできなかった。北部に逃げても、執拗に追っ手の手が伸びてくる。そして、恐るべきことは、立場、環境が違えば、人間は誰でも、これほどまでにおぞましく振舞うことができるということだ。

しかし、「生きる」ことに対して、これほどの障害があっても、人は生きていくことができるのだと感じた。どれほど理不尽なことがあっても、生きることを決めて、自由を切望し、壁に向かっていく姿勢、行動に大きな感銘を受けた。そして、この姿勢は今を生きる私たちにこそ必要な姿勢だと感じた。

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自ら学ぶ力を

週に4日、中高生に勉強を教えているのだが、やはり週に何時間かは科目の予習の時間を取らなければならない。予習の過程で、生徒たちがつまづきそうなところを想像したり、どうやって伝えればよいか考えたりできるのだ。塾で教え始めて、6年目になる。6年もやっていると、各科目のどこがポイントなのかはよくわかるようになってきているし、教え方も工夫するようになっている。

しかし、実は問題はこれからだ。新しい内容を聞いた時に大切なことは、それを自分の中で咀嚼して、改めて表現することだ。これをやろうとする生徒が本当に少なくて、どう働きかければやるようになるかが今の課題。今やっていることは、問題を解いて間違えた時に、なぜ間違えたか、次どうすればできるようになるかを考えてみるよう声かけをして、実際にどう考えたかを尋ねるようにしている。

理想的には、自分で調べて、やってみて、再び振り返って考える、というサイクルを身につけることを目標としている。教えられたり、押し付けられた範囲を習うより、自分で調べていく方が能動的で身になると思うのだけど、焦らずに仕掛けを作っていきたいなと思うのだ。

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日々に区切りを

気がつけば、10月も後1日を残すだけとなった。日々それなりにやるべきことがあるので、それはこなしているのだが、なぜかやるべきことが減らず、畑と田んぼには草が生い茂ったまま。さらには秋冬にかけて行う山仕事や炭焼き仕事も入ってくる時期だ。

あらら。段取りもできないまま、日々に流されていってしまっているのではないか?やりたいことと、やるべきことと、やれることとのバランスが取れていないみたいだ。

こんな時は、古典的なやり方をとるに限る。そう、to doリストを作るのだ。というわけで、今日はリストを作って活動した。その結果、やれたこととやれなかったことが明確化されたわけだが、どちらにしてもやるべきことが多くて追いついていないことには変わりがない。このまま放置していると、ストレスになってしまうので、焦らず、日々に区切りをつけながらやっていくしかないだろう。

昨日、王国代表のミツヲ氏と、「生きてる実感はあまりないが、安定して高収入がある生き方」と、「生きてる実感はあるが、安定して高収入があるわけではない生き方」とどっちがいいか、という話になった。無論、「生きてる実感があり、安定した収入がある生き方」がいいんだろうが、どちらも手に入れるのは難しいかもしれない。

「どちらが楽しいか」と考えたら、私は生きてる実感がある方が楽しいな。お気楽な中年、と言われても仕方がない結論だけど。

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麦まきの準備。

先週から始めた麦まきの準備。しばらく使っていなかった畑なので、草がぼうぼうに生えている。トラクターでそのまますきこむか?という話になったのだけど、やはり一度草を刈って、それをよけようということになった。草を刈って、レーキとフォークを使って畑の外に運び出す。一度刈ってはあるけど、草丈が長いので、やはり根から全て刈れているわけではない。レーキで引っ張っても、根が残っている草もあった。ある程度草がよけてあればトラクターですき込めるだろうということで、とりあえず刈ってある草だけよけるようにした。

来月末、11月24〜25日が麦まきイベントの日になる。この麦は収穫された後は、うどんに加工される。地粉らしい、味のあるうどんができるのが楽しみだ。

午後は田んぼの草刈り。一心に刈って、帰り際に空を見ると、雲がとてもきれいだった。これからの時期は空がきれいだから、好きだ。

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ながい一日。

ミャンマーの人々の民泊も三日目。朝ごはんを食べて、動物のえさやりをして、お別れ会へ。わずかな時間しか一緒にいれなかったのだけど、別れの時はなんだか寂しくなってしまう。いつかそちらに行きたいよ、と思いを告げる。計画をどう立てるか、だけなんだけど。

午後からは営農組合の掃除。このシーズンお世話になったので、最後の掃除をしっかりと行う。コンバインのキャタピラにこびりついた泥を落とすのが大変。ただの泥ではなく、稲わらと混ざっているのでとても固いのだ。

夜は、大山千枚田で開かれている棚田の夜祭りへ。昨日は付き添いで、今日は消防団の警備で訪れた。昨日より、少し寒く感じた。

フィナーレの花火。長女が撮影したもの。

昨日は早めに帰ってきたので、花火は家から見たのだけど、やはり現場で見るのは迫力が違う。里舞という創作バレエをステージで踊らせてもらった娘たちも、歓声をあげていた。長女はすでに、目で見るよりいかに上手く写真を撮るかに目が向いているのはご愛嬌。

 

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棚田の夜祭りに参加した。

昨日から、大山千枚田で棚田の夜祭りが始まった。三日間の日程で行われる。今朝ふと思い立って、ミャンマーからの人々と見に行こうかと思いついた。

午後に、彼らのアクティビティが終わって、お迎えに行くときに、棚田倶楽部に電話すると、点火のボランティアに来ませんか?とお声かけしてもらった。

あ、そうか。そうすれば、イベントに参加できるし、ただ見に行くだけよりおもしろいかも?と思い民泊者に話してみると、乗り気だった。

そこで、午前中行ったばかりの千枚田にまたトンボ帰り。

準備万端!

仕事は、棚田に並べられたバイオディーゼルのたいまつにガスバーナーで火をつけること。

彼は大学で医学を修めたあとに、映像監督に転身した人。優秀だし、話していて話題も豊富だ。

30人以上の人が点火に関わった。

田の下から棚田倶楽部を見ることはあまりないので、新鮮な感じだ。

では、これから時間差で撮影した棚田の様子を。

火をつけ始めてからわずか1時間半弱で、姿を全く変えてしまう。ひょんなことからやることになったボランティアだったけど、やってみて思ったことは、私は、イベントには見に行くより作る側になる方がやはり好きなんだなということ。ミャンマーの人々もすごく楽しかったみたいだし、たくさんの写真と映像を撮っていた。明日は、彼らともお別れ。密度の濃い時間だった。

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にらファイトのこと

3ヶ月ほど前から売り出したにらファイト。最近少しずつ認知が上がってきたようで、直売所でも少しずつ売れるようになってきた。もともとは、自分で作って楽しむだけだったけど、友人たちに出してみると、美味しいよと言ってくれるのでその気になって商品化したものだ。もともとはにらに醤油とニンニク、そしてごま油を混ぜるだけのものだったのだけど、それに唐辛子粉と青唐辛子を入れることで、味にインパクトが出るようになった。商品化についての話をしている時、義母が「にらファイトって名前いいんじゃない?」というので、それに決まり!と名前が決まった。名前も、なかなかインパクトがあるのかもしれない。にらパンチ、と言われることもあるけど。デザインは義妹が描いた絵を妻がハンコにしたものを、山賊会の親方が、俺がやってやるよ、とシールにしてくれた。これで、商品としての形が固まった。

出荷を始めてからは、妻から売り上げを知らされるので、それに応じて仕込んでいる。私が仕込んで、妻が詰めて出荷するという流れだ。仕込み作業は、普段やっている仕事の合間にやっている状況だけど、もっと忙しくなると仕込みも大変になるな、なんて捕らぬ狸のなんとやらな状態だ。

自分で商品を作って売ることは初めての経験なので、なかなか面白い。農村で暮らすことの何が面白いって、工夫次第で可能性が広がることだ。まだまだできていないことだらけだけど、少しずつ形にしていこうと思っている。とりあえず、にらファイトを大切に育てていこうか。

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