実習のゆくえ。

千葉大生実習の二日目は、これからの実習内容について議論しあう予定だった。しかし、台風24号の影響により外房、内房両線が運休、千葉に帰る貸切バスも出発予定を早めたため、残念ながら昼食後に解散となってしまった。稲刈りを昨日終えて、来月からの指針を立てたかったし、学生たちも積極的に自分たちの企画を持ってきていたので、議論をするのが楽しみだったが、残念、台風には勝てないし、無理をしてはいけない。学生たちと何ができるか、これからが楽しみだ。

学生たちを見送った後、たまっている畑作業をし始めると、急に激しい雨が降ってきた。慌てて雨合羽を着て、ハウスを閉めてまわる。夜に激しい雨風が到来するようなので、今日は雨戸を閉めて休むことにする。

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思わぬ天気に

朝起きると、雨が降ってない!予報では今日は一日雨予報だったのに。とすれば、予定変更だ。明後日から今年最後の小学生の民泊の受け入れをするので、草刈りをすることにした。午前中の2時間半ほどだったが、少しはきれいな状況で民泊者を受け入れることができそうだ。午後からは、結構な雨が降ってきた。うまく天気に沿えて、満足な一日である。

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ヤギと過ごす。

朝は明後日出荷する米の精米へ。普段食べている米は自宅で精米するけど、出荷の場合は大がかりなので、コイン精米機で精米する。たまたま他にお客さんがいなかったので、二台の精米機を使って120キログラムの精米を、30分弱で終了した。

昼からは山賊仲間の脱穀のお手伝い。干していた田んぼにずいぶん水が溜まってぬかるんでいたけど、5人がかりで作業できたのであっという間に作業が終了した。いつも自分のことをおいて手伝ってくれるご夫婦なので、私もちょっとでも時間があれば手伝いたいと思うのだ。

帰ってきて、消防団の定期訓練の前にひさしぶりにチーズの散歩を行う。忙しいと、ゆっくり外に出してやることもできないので、かわいそうに思っていたところだった。リードがなくても私から離れてしまうことはないのだけど、念のためハウスバンドを首輪につけてとっさの時に対応できるよう準備する。「ヤギを飼うと草刈りしなくていいの?」と聞かれることがあるけど、見ていると結構草を選ぶ。単子葉植物より双子葉植物を好むみたいだ。エノコログサを食べてもらいたいけど、見向きもしない。双子葉植物でも、セイタカアワダチソウはあまり好きではないみたい。前のヤギは冬を越せなかったので、今回こそは長生きさせてやりたい。

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今日1日を生きる。

もちろん、人は当たり前のように今日1日を生きている。でも、一人ひとりの1日はそれぞれ違うし、決して当たり前ではない。当たり前のように明日がある、また今度会えると思っていても、その当たり前は突如として崩れてしまう時がある。何か自分にやれることはなかったか、もっと気をかければよかったのではないかと振り返ってみても、その崩れた状況を取り戻すことはできない。どうしようもない思いを抱えて、日々を生きていくしかないのかもしれない。

突然何を書いているのか?と思われてしまうような書き出しで大仰な気さえするが、日常の何気なさこそ最も大切なものだ、ということを心に留めておきたいと思うのだ。

夕方から山賊会(水稲共同栽培グループ)の決算と打ち上げがあった。決算の会では、一人ひとりが自分の思っていること、今後やりたいことを出し合えたような気がする。私は今、昔自分が考えていたような暮らしとは全く違う暮らしをしているのだけど、頼もしい仲間に恵まれて、自分の思っていることをお互いに出し合えていることがとても嬉しい。ありがたいことに、そんなグループがたくさんあって、今の私はみんなに受け入れられているような気さえしている。それが錯覚でないことを祈っているが。この人々との協働の中から、どんな暮らしを紡いでいくのかが、今後の私の暮らしのテーマとなるだろう。

今日は彼岸入り。庭の彼岸花がきれいだった。

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原点に還る

夜から、所属する大山廃校利用を考える有志の会(有志会)のミーティングを里山オフィスで行う。4月以来の、ひさびさのミーティングだ。

廃校以来9年間続けてきたプール開放を、今年は行わなかったので、夏の活動がなくなってしまった。地元の子ども会の協力を得て開放してきたが、監視員に出るのが難しい親御さんが増えて、開放できなくなってしまったのだった。

また、今年の4月から旧大山小学校の、公民館として利用されていない残りの半分が里山オフィスになったため、有志会としてはこれまでの目的を結果的に達成した形となってしまった。千葉大学とのつながりは、現在はNPO法人うずがメインとなっており、有志会としては学生と主体的に関わってはいない状況だ。

有志会としてやれることはないか、とあれこれ話をする。「あれやれるよ」「これやれるよ」と、色々意見が出る。その中で、会長のOさんが、「草刈りやるっぺよ。原点に戻ってよ」と言った。

その言葉に、みんなハッとした。

2008年度で小学校が廃校になり、2009年の5月に「なんかやろう」「草刈りからやろう」と集まった頃を瞬間に思い出したのだ。廃校になって草が伸びてきた学校の草刈りを行うことで、「そうだ、プール開放やろうよ」「早稲田大学の学生とイベントやろうよ」と言った話が出てきたのだ。それから、地道に活動を続けてきたのであった。

この先、何から始めるかまだ決まっていないけど、とりあえず来月初旬に草刈りを行うことを決めた。原点に還ろう。

(下の写真は2010年5月の草刈りの様子)

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ようやく眼科へ。

今朝は雨の中、動物の餌やり。今回の子どもたちにも声をかけたけど、持ってきたカードゲームに夢中で、こちらには来なかった。まあ、そんなこともあるだろう。ご飯が美味しかった!と言って帰って行ったのでよかったのかなと思う。

帰宅してからは、今年の1月に転倒してフレームが曲がって以来、なんだかメガネの調子がよくなくて、一度見てもらうべく、ようやく眼科へ向かう。

私は近視が強いので、眼鏡を作るのも一苦労だ。視力計測もふつうの計測機では見えないので、係りの人がカードを持って移動して、見える位置に来たら輪っかの空いている向きを答えるといった感じ。

眼底検査を受けると視神経が弱ってきているらしく、今度精密検査を受けてくださいと言われる。私の生活は、多くの人もそうだろうけど、視力に依存していることがほとんどなので、目が見えなくなると今やれていることができなくなってしまう。

もちろん、すぐにどうこうというわけではないそうなのだが、少しずつ何かが弱ってきているんだなと感じる。

でも、思ったより視力は下がっておらず、老眼もまだ大丈夫そうだった。

新しい眼鏡を注文した。普通の視力ならその場でお渡しだが、強度近視の私の眼鏡は月曜日以降に引き取りになった。眼鏡も昔より随分安くなって本当に驚いた。新しい眼鏡を使うのが楽しみだ。

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久々の小学生の受け入れ

今日は久しぶりに農家民泊の小学生受け入れだ。この学校の受け入れは7年目になるそうで、私たちが農家民泊を始めたのも7年前なので、同じだけ受け入れていることになる。

最初の頃は幼稚園だった我が家の子どもたちも今では6年と5年になり、民泊の参加者の小学生と同じ年になった。

大山千枚田で稲刈りをしてからの受け入れだったので、うちに来たのは四時半過ぎだった。

それから簡単な自己紹介をして、家の案内をして、外へ散歩に出かけた。

横浜の子どもたちなので、田舎が珍しいらしく、バッタを捕まえて喜んでいた。それ、鶏にあげたら喜ぶよ、というと鶏舎に入れていた。鶏たちが争って食べるのを一心に見ていた。

その後は山羊のチーズと散歩。7人の参加者のうち4人が、リードを持ってチーズを散歩させてくれた。

山羊の散歩って、なかなかできないのでおもしろかったみたい。

1日目の夜はたこ焼きパーティー。

みんなで焼きあって楽しんだ。

明日は、今日より早く戻ってくるので一緒に畑作業をやるつもりだ。

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米穀検査に立ち会った。

今日は、農協の米穀検査の日だった。先日は米問屋に任せきりで、何をするのかわからなかったので、今日は立ち会うことにしたのだ。

農協職員が、米袋に検査棒を刺してサンプルを採取するので、その後を追っかけて検査シールを貼っていく。

いよいよ検査だ。まず始めにコメの水分量をチェック。基準通り!

次はサンプル10個くらいを1つずつ白と黒の皿に交互に入れながら玄米の状況をチェック。

緊張の一瞬だ。

一等とそれ以外では大きな差があるので、なんとしても一等が欲しいが、待つしかない。

そして!

見事、一等だ!

農協で一等になると、長狭米シールを貼ることができる。なんか、嬉しい。

今まで農協出荷は全くやらないできたので、新鮮な体験だった。

これで、今回山賊会で収穫した稲の大部分を販売したことになる。残りは作業量に応じて各自に分配される予定。

ホッとした。

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初めての米穀検査!

朝は曇り空だったが、9時頃からはやはり雨が降り始めた。山賊会では、もともと今日稲刈りの予定だったが、先週の金曜日に予定変更してやり終えていたので、穏やかな気持ちでこの日を迎えられた。

午前中は山賊会のミーティング。稲刈りを節目に一年の区切りをつけることにしたので、作業分担に応じての米の配分等について話し合った。

現在どんなやり方をしているかというと、グーグルスプレッドシートにそれぞれの出面をそれぞれで記入していくことになっている。共同で行う水稲栽培が初めてのことなので、どうすればよいかみんなで話し合ってきた。親方が東京で会社を経営しているので、きちんと段取りをしてくれて、私たちはそれに乗ってやってきた感じだ。私よりもずっと忙しいはずなのに凄まじしいバイタリティで、今年一年随分学ばせてもらうことができた。

山賊会の仲間は多彩で、それぞれの特性を活かした組織運営ができているのではないかと思う。もう、来年に向けての話がスタートしている。

そんな時、Facebookのメッセンジャーがなった。この前出荷させてもらった米問屋さんからだ。”一等米で取らせていただきます”と書いてあった。

よかった。初めての検査だし、自信があったわけでもなかったからだ。でも、三段階ある中での一番を取れたし、売り上げも違ってくるので、少し安心した。

今年の山賊会の目標は、まずは赤字を出さないということにあったため、それがクリアできてからの次の話となる。

さて、にらファイトだが、おかげさまでぼちぼち売れている。昨日の王国イベントで大瓶はないの?と聞かれたので、二倍入りの大瓶を作ってみた。値段を少し割安にして、明日から出荷してみる。

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あの時の決断が

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祭りが終わると、あっという間に日常作業だ。

王国で、稲刈り前の草刈りの一日だった。

 

草刈りをしている時、ふと、王国に来てもうすぐ15年目を迎えるんだなと思った。

2004年の夏に、加藤登紀子さんと会う機会があり、それをきっかけに私は鴨川に来ることになった。

今から考えれば、ちょうどその時は、学生時代に所属していたワークキャンプの関係で中国にいくことになっていた。司法試験に挫折して、アルバイトして貯めたお金でチケットを購入していた。

登紀子さんに、「鴨川に遊びに来ない?」と言われて、「行きます」と即答したのだ。一緒に行くことなっていた人には不義理とご迷惑をかけ、渡航費も無駄になったけど、なぜかその時、行かなければならないと思ったのだ。

 

もしあの時、鴨川に来ていなければ、また違った人生があったのだろう。どんなことをしていたかは、想像もつかないけど。

鴨川を選んだことで、私の人生は大転換してしまい、予想もつかなかった道を歩んでいる。でもその道は、今私が歩きたいと思っている道だ。

 

蒸し暑くて、汗も乾かないような日に、ターニングポイントとなった決断に思いを馳せたのだった。

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